中国丹東・鳳城市・瀋陽市の訪問記

関西遼寧協会会員 友井川 紘一

1.はじめに

 関西遼寧協会、特に菱田会長が、かねてから交友のあった鳳城市の王市長から招待を受けていたこと。さらに協会として「あじあ号」保存運動で集めた1200万円の寄付金を、7月に訪中し瀋陽市に寄贈したが、その後の博物館建設工事ならびに保存対象の蒸気機関車の改修状況について確認する時期にあったことなどを踏まえ、理事会では1012日から16日の5日間の日程で訪中団を派遣することを決めた。

 たまたま私は、関西遼寧協会の「あじあ号保存運動」の呼びかけ人に名を連ねた縁で、関西遼寧協会に入会し、「あじあ号保存」の関係で菱田会長、森下事務局長と、ここ1年強で4回も一緒に訪中させていただいた。その縁で今回は、私が幹事をしている「日本労働ペンクラブ関西支部」の4名と、私の川崎重工時代の同僚の1名も同行させていただくことになり、私を含めて8名のメンバーで訪中することになりました。そのような経緯から、今回の訪中団のメンバーは多彩な顔ぶれとなりました。

 団 長 関西遼寧協会会長    日光精密工業(株)会長 菱田 英一

 秘書長 関西遼寧協会事務局長  クリエイト大阪(株)  森下 雅喜

 団 員 日本労働ペンクラブ幹事 日本女子大学教授    埋橋 孝文

 団 員     〃    幹事 労働研究家・元産経記者 辻田 ちか子

 団 員     〃    会員 著述業「現代金融論」等 荻原 勝

 団 員     〃    会員 大阪経済大学講師    三宅 洋一

 団 員     〃  関西幹事 (株)テクノエース社長 友井川 紘一

 団 員             川崎重工車輌デザイナー 永谷 勝司

  なお、今回の訪中団の調査テーマは「中国農産物の残留農薬」問題とし、旅程は、大連、丹東、鳳城市、瀋陽、大連となった。

 2.あらためて遼寧省

 私の中国東北地方への旅は、今回を含めて6回である。しかし遼寧省の知識は点でしか残っていない。

 東北地方は「遼寧省」と「吉林省」「黒龍江省」の3省からなっている。

 協会と馴染みの深い遼寧省は、省都の瀋陽は人口662万人、大連の人口は540万人である。

 丹東は北朝鮮国境にある中国最大の辺境都市であり、人口240万人。鞍山は中部に位置し、鉄鋼の街であり、人口は330万人である。撫順は瀋陽から40Kmの位置にあり、石炭の露天掘りで有名な都市で、人口は224万人である。他に1級都市として朝陽市、阜新市、錦州市、盤錦市、葫蘆島市、営口市、鉄嶺市、本渓市などがある。

                      

3.港湾都市「大連」

 遼寧省の日本からの玄関口「大連」は、遼東半島の最南端に位置し、東に黄海、西に渤海、南に山東半島を望む北方の香港として発展を続けている。

 特に「北方の真珠」と言われる、黄海に面した海はいつ見ても美しく、日本人好みの街である。最近、大連の街は新しいビルが立ち並び、海岸は整備され、いたるところにミニパークができ、レジャー施設の開発も進み、さらに西洋風のマンションが群立するコンストラクトは、ヨーロッパの海岸に来たような錯覚を覚える美しい都市に変貌している。

 その上、1898年にロシアが租借権を得て建設された、パリを模した放射線状の幾つもの道路が大連の街並みに風格を与えている。大連は総合的に見て、中国一の均整のとれた都市といってよいのではなかろうか。

 4.北朝鮮国境に接する丹東市訪問

 大連から丹東へ、北北東へ5時間のバスの旅、大連から半分が高速道路で、残りの半分が普通道の旅となった。道中はまさに穀倉地帯の中を走る。小麦畑とトウモロコシ畑、ブドウやリンゴの果樹園、また北に土壁で南東がビニール張りのビニール温室が両側に広がる。しかし大連から進むにつれて、農民の経済的環境が見えてくる。高速道路の終点にある町、荘河市で海鮮料理の昼食をとる。

 さらに一般道を走ること2時間強、木曽川と同じくらいの鴨緑江の川岸に建つ「中聯大酒店」に到着。ホテルで丹東市関係者の出迎えを受け、夕食をはさんで会談をする。

 丹東市対外経済貿易委員会副主任 劉洪威氏

 丹東市対外貿易経済合作局所長  廬佩智氏

 5.北朝鮮を船上より望む

 夕食までの間、鴨緑江の遊覧船で北朝鮮側岸壁5mまで近づいて、今話題の「新義州」(経済特区)をかいま見ることができるとの話で、国境をめぐる遊覧船に乗船。国境線は鴨緑江の中心であるが、中国の遊覧船は北朝鮮側川岸5mまで近づける。


鴨緑江から北朝鮮側を望む


河の中央から丹東の風景

 北朝鮮側川岸には貨物船が停留しており、黒だかりの人々がたむろしていた。男性は上下黒の制服、女性は上着が赤のトレーナとズボンは黒色、船上で働く人々の近くで、ライフル銃を構えた兵士が監視をしている。川岸に沿った道路には、ところどころに監視所があり、通行人より監視人と思われる制服姿の数が多い。

 川面をただ見つめる数人のグループも見かけた。

 夕暮れになっても、建物に灯が少なく、街全体が暗闇に包まれていた。下船後、鴨緑江橋(北朝鮮側半分は朝鮮戦争の際の米軍の爆撃で崩壊)を川の中心まで渡り、望遠鏡で北朝鮮を眺める、人影が少ない。

 6.丹東市の概況と経済

 丹東市は北朝鮮との国境にある、中国最大の辺境都市で、市街地の「振興区」「元宝区」「振安区」と東港市、鳳城市、寛甸満族自治県の行政区画を管轄している。

 人口は240万人で、32%が満族であり、朝鮮族など28の民族が住んでいる。

 経済は、水産と水産加工物に加え、軽工業が増えつつある。

7.農村都市「鳳城市」訪問

 @鳳城市の概況

 丹東市の県から昇格した「鳳城市」は、丹東駅から78Km、瀋陽から高速道路で180Kmである。中国の都市格付けから見ると、丹東市の行政管轄下にある。中国の都市格付けの2級市である。

 人口は56万人で、18の町と3つの経済管理区から構成されている。面積は5514平方キロである。気候は、11月〜3月初旬までが零下、12月〜2月はマイナス10℃である。夏は平均気温25℃である。鳳城市の中心部から南東に3.5Kmのところに、東北4大名山のひとつである鳳凰山がある。ロープウェーも設備されている。また美しい玉龍湖もあり、その湖の豊富な水源を活用して34の水力発電装置が設置され、4.2KWHの発電をしている。鳳凰山の近くにアルカリ性の五龍背温泉がある。

 産業は通常の農産物に加え、大粒の「鳳城栗」や瓜、リンゴ、イチゴが生産されている。また鉱山資源も多品種にわたり産出されている。

 工業面では、部品加工を中心とした軽工業の導入が図られている。

 A関西遼寧協会と鳳城市

 鳳城市の王力威市長は、現在38歳の若き市長である。その市長がかつて通訳として幾度か訪日し、その時にいろいろと面倒を見られたのが関西遼寧協会の菱田会長であり、今年の王市長の訪日時も関西遼寧協会の歓迎宴が開かれている。

 <参考までに>中国公務員の格付け

 中国公務員には、日本と同じく格付(等級)があり、都市にも1級都市と2級都市がある。その格付けは、「賃金処遇」と「中国共産党・政府の通達文書を配布される範囲も格付けで違う」という違いがある。例えば、中国解放軍の大佐は1級都市の局長と同格であり、鳳城市長とも同格である。協会とはなじみの深い、国貿促遼寧省分会の部長職D氏も、このクラスである。

8.農産物の残留農薬問題

 今回の訪中に際し、鳳城市には「農産物の残留農薬問題」について話を聞きたいとの申し入れをしていたため、王市長は出張中で面談できなかったが、市長に代わり市政全般を管轄されている東憲常務副市長、農業担当の王俊青副市長、対外貿易経済合作局の智源局長、王惺駒副局長などが2時間にわたり、農業問題について我々の質問に親切に対応してくれた。以下は、主要なやり取りである。

Q.いま日本では、中国から輸入の農産物の残留農薬が問題になり、20021月〜6月の上半期の輸入量は、対前年同期に対し6.6%の減となっている。(資料を出す)これについて、どう対処しているか。

A.鳳城市の輸出は、野菜類ではなく、主に果実類や山菜・栗などである。残留農薬問題については、懸念している。市としても「農薬の種類」「可能な限りの有機栽培」を指導している。

9.大梨村の梨園と農薬問題

 鳳城市から車で30分の所にある、毛沢東が現地を訪れて『愚公移山・改造中国』との言葉を与えた、有名な大梨村(人口2600人、村長は全国人民代表大会代議員に選ばれている)の梨園を見学した。

 木も育たないハゲ山を、村人総出で10年にわたり開墾し、梨を植樹し、その梨園の道路の総距離が81Kmにも及ぶ一大梨園は見事なものであった。

 村の女性書記の案内で現地を見学したが、今では年間80万人が訪れる観光農園になっており、村人の生活を支える事業となっている。農薬問題についても有機栽培に心がけ、早期に果実に袋をかぶせ、農薬の使用を極力制限しているとの話であった。

10.鳳城栗の加工工場見学

 今回の訪中で、丹東からの現地参加が2人あった。一人は本年8月から丹東職業技術学院のボランティア日本語教師として大阪より赴任されている遠藤紀子さん。もう一人は、高校生まで丹東で育ち、日本に帰国して後、貿易商社や中国現地での加工工場、コンピュータソフトなど幅広い中国ビジネスを展開している伸和商事(株)の板澤大輔会長。

 その板澤さんの栗加工工場が近くにあるとのことで、見学させてもらうことになり、バスで向かう。しかし最終的には片道2時間くらいかかり、スケジュールが大幅に狂ってしまった。

 この工場では、近隣の農家から集められた栗を、2030人の女性従業員が手で皮を剥き、コンテナに詰めて日本へ輸出する作業をしていた。一見過疎地の中に建てられた工場であったが、女性従業員月800元(12,000円)の賃金は、近隣の農家にとっては貴重な収入源ではなかろうか。

11.あじあ号SLと感動の再会

 3日目の夜、瀋陽の馴染みの鳳凰ホテルに入る。なんだかほっとする。

 1015日早朝から、関西遼寧協会の活動の柱の一つである「あじあ号保存」運動の進捗状況の現地調査を開始。途中、参加者の希望で瀋陽日本領事館を見学。現地はものものしい警備だ。歩道は通行禁止、車道と歩道の間は、リング状の金網で仕切られている。隣のアメリカ領事館の塀は、5mぐらいの高さまで嵩上げの工事中であった。

 目的地の蘇家屯機関区に到着。工場門のすぐ右手のレール上に、保存予定の機関車が以前から置かれている。目が走る。

 ピカピカに真新しく塗装された蒸気機関車の姿が目に飛び込む。森下さんと一瞬目を合わせ、『改修が進んでいるようですねぇ』と話を交わす。

 車列に近づく。私の次に出た言葉は『オー』という感嘆詞だった。

 青色の車体が太陽の光を受けて眩しい。どんと居座った、見違えるようになった「あじあ号の蒸気機関車」がそこにあった。一瞬私は目が潤んだ。

 今回の保存運動で一番心配していたのが、SLの手直し作業だった。

 瀋陽市当局と瀋陽鉄路局の関係を心配していた。

 目の前の15台の蒸気機関車は、保存を待ちわびるように見事に化粧直しされて並んでいる。この時、私たちの保存運動の結実を確信した。


ピカピカのパシナ(あじあ号牽引車)


2002年夏の頃、未改修のパシナ

12.鉄道博物館建設工事の進捗状況

 午後、私たちは心も軽く鉄道博物館の建設現場へとバスを走らせる。

 写真のように工事は順調に進んでいる。現地の責任者の話では、11月に屋根を付け、周囲の整地と整備を行い、雪解けの来春にはオープンできるとの話であった。今回の訪中で、関西遼寧協会の「あじあ号保存」の夢が現実になることを強く確信して、再来を誓い、現場を後にした。


建家ももうすぐ屋根がつく

13.終わりに

 関西遼寧協会とのつきあいが深まるにつけ、協会の地道な活動を肌で感じる訪中となりました。来春の訪中が楽しみです。

200210月記)


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