多くの方々にご協力いただき、9月末現在で全国約300人の方々から約1250万円の協力基金が集まっています。今の段階ではまだ瀋陽市側が建設に着手していないため、日本で集まった基金はそのまま友の会にプールされています。瀋陽市での事業が動き出せば、そこに投資(寄付)される予定です。 ――呼びかけ人の生地氏制作―― 生地健三氏(鉄道画家)制作によるパシナのレリーフができました。黄銅鋳物と青銅鋳物の2種類があって、どっしりとパシナの力強さを現しています。
レリーフ大は頒価5万円で、レリーフ小は頒価2万円です。このレリーフを購入された方は、自動的に瀋陽鉄道博物館友の会の会員になります。 生地氏手作りの注文制作なので、ご注文をいただいてからできあがりまで約1ヶ月かかります。ご希望の方は、事務局までお問い合わせください。 戻る 「瀋陽にあるあじあ号を見たいがどうしたらいいか」というご質問をよく聞きます。 瀋陽のあじあ号は、他の世界8カ国の機関車とともに蘇家屯の機関区構内に置かれています。一部は補修が終わり、一部は補修中です。日本製の機関車はまだ修理に入っていません。 場所は、以前13台の機関車が並んで置かれていた「瀋陽蒸気機関車陳列館」のすぐ横の機関区で、機関区の人にきちんとお願いすれば、見学させてくれます。列車が行き来していますから、注意が必要です。 蘇家屯は瀋陽市蘇家屯区で、瀋陽の南方にあります。瀋陽北駅から車で40分くらい。中国語がわからない場合は、日本語のわかるガイドを雇っていけばいいでしょう。
9月16日の朝日新聞日曜版の特集記事「線路−満鉄の通り過ぎた跡」の中で「あじあ号を引いたSL」が紹介され、併せて当会の進めている「瀋陽鉄道博物館建設協力」が紹介されました。 記事によると、「大連でもあじあ発見」が書かれています。この大連のあじあは、今年の春頃から観光目的でデビューし、日本でも「新亜細亜展望車」という企画で、大手旅行社などが宣伝しているようです。補修やペンキの塗り直しが行われ、大変きれいなようです。
今年7月に「中国東北の鉄道旅行」(鉄道ジャーナル社主催)に参加した東京の鈴木氏より、黒河地方で見つけた「あじあ号の展望車」の写真が送られてきました。 ![]() 鈴木氏の手紙によれば、「現車は保線関係の宿泊車として活用されているようですが、パテが目立ちますが比較的保持状況は良いと思います。但し台車は履き替えているようです。この車両があじあ号のものであることは、黒河において同地方鉄道の幹部とのインタビューで確認しました。」とのことです
瀋陽鉄道博物館建設の事業主体は瀋陽市ですが、今年の夏以降瀋陽を訪れた方々の現地での情報をお聞きしていると、少しづつ状況が変わってきているようです。 当会としては、8月初旬に瀋陽市城市建設局を訪問して、瀋陽での状況を確認してきましたが、それと合わせていくつかの現地の状況をお伝えします。 1)瀋陽市植物園での鉄道博物館建設は中止となり、代わって蘇家屯に建設する、という話。 ――最初の計画では、瀋陽鉄道博物館の建設予定地は蘇家屯で、それが途中で植物園に変わった経過があるので、最初の状態に戻ったのかも知れません。 2)瀋陽鉄道博物館建設のための予算がなかなか決まらない、という話。 ――当会が得た情報では、瀋陽市当局が関係者(城市建設局、蘇家屯旅遊局、鉄路局など)を呼んで何回か会合を開いているようです。「建設を進めよう」というのは皆一致した意見ですが、予算執行になると、権限は瀋陽市にあるので、瀋陽市にお願いはするけれど、それから先は話が進まない、とのことでした。 いずれにしても、瀋陽市は国営企業が多く、予算的には非常に苦しい状況にあり、すでに決まっているプロジェクトだからいつかは執行されるだろうが、それがいつになるかは確実には言えないというのが、私の会った人たちの意見でした。 友の会で協議した結果、別掲記事にもあるように、現地の状況把握と友の会の要望を瀋陽市および遼寧省に伝えるために、訪中団を派遣することになりました。 (関西遼寧協会 事務局 森下)
瀋陽市の状況を正確に把握し、鉄道博物館の建設を推進するために、当会としては別紙要望書を瀋陽市と遼寧省に送り、10月30日〜11月1日の間瀋陽に代表団を派遣して、瀋陽市および遼寧省当局と協議を行うことになりました。 参加予定者は10月10日現在下記の通りです。参加ご希望の会員の方は、事務局までお問い合わせください。 団 長 菱田 英一(関西遼寧協会会長) 団 員 友井川紘一(友の会) 事務局 森下 雅喜(関西遼寧協会事務局長)
瀋陽鉄道博物館友の会 関西遼寧協会 会長 菱田英一 私たちNPO法人関西遼寧協会は、その前身である1985年発足の大阪遼寧経済貿易協会以来、関西地域の中小企業・個人と中国遼寧省との友好交流発展のために活動を行ってきました。 瀋陽市蘇家屯区に保存されてきたSL751型機関車をはじめとする世界8カ国の機関車についてかねてより興味を持ち、その保存と観光資産としての活用を瀋陽の関係者に提案してもきました。 そして、1999年には瀋陽市政府自身の手によって事業化が開始されました。瀋陽市植物園内に瀋陽鉄道博物館として建設が始まったのです。これは素晴らしいことであり、完成したら日本の多くの人々に呼びかけて見学団を作ろうと話し合っていました。 しかし、この瀋陽鉄道博物館の建設は2000年夏にストップしてしまいました。聞くところによれば、予算不足とのことでした。 実情の把握と、私たちに何か協力できることはないかという目的で、今年2月に瀋陽を訪問し、瀋陽鉄道博物館の事業主体である瀋陽市城市建設局と話し合いを持ちました。この協議の結果、別紙覚書にあるように、私たちは瀋陽鉄道博物館の建設に協力する基金を日本で集めることになりました。 新聞や雑誌、テレビなどのメディア、多くの協力者による宣伝と働きかけによって、9月末現在で全国の約300人から1250万円の基金が寄せられており、事業主体が確定して事業が動き出せば、いつでも提供できる状態にあります。 瀋陽鉄道博物館の建設は急を要していると私たちは考えます。 1)大きな観光資産となりうる旧型機関車は製造より60年以上を経て、保存展示するには限界の状態に達している。これ以上伸びれば、保存ができなくなる可能性もある。 2)大連では、屋内保存されてきたSL757型機関車が民間観光業者と鉄路局の協力できれいに復活され、大連観光の目玉として脚光を浴び始めている。日本の多くの人々が保存してほしいと望んでいるパシナが大連できれいな姿を見られるなら、瀋陽の方は忘れられてしまう可能性もある。 3)瀋陽鉄道博物館建設のために寄せられた基金は、瀋陽鉄道博物館建設目的以外には使いようがなく、事業主体側が動き出さなければ、日本側の基金募集も目的を失ってしまう。 以上の経過と理由により、瀋陽市政府の手によって、瀋陽鉄道博物館建設が具体的に開始されることを切に要望します。 なお日本側の会計年度の関係上、2002年3月までには瀋陽市側の具体的計画を開示していただきたく要望します。
(2001.6〜9到着分) ■東京 M氏 2001.6.18 拝啓 本日 瀋陽鉄道博物館友の会会員証をお送りくださいまして有りがとうございます。この機関車は蘇家屯機関区に有りましたことは私も確認致しました。 欲ばった希望ですが複製でも作って客車4両を引いて新幹線のレールを走らせればまさに言うことなしです。 どのくらい費用がかかるのかわかりませんが、交通博物館(鉄道博物館)にも話をしてみたらなにかよい考えが出るかも知れません。 JRにも満鉄マンがたくさんおりますから空想 ともいい切れません。 敬具 ■大津市 N氏 2001.7.12 私は、現在高校生なのですが、学校の授業や本などから満鉄のあじあ号という特急があった事は知っていました。今、ある鉄道誌であじあ号のSLが残っている事を知り、又、博物館をつくられる計画を知りました。私は、この計画と同会の活動、会費の事などが雑誌の誌面からは、よく分からなかったので、同会の活動や会費の事に関する詳しい情報を教えて下さい。よろしくお願いします。 ■新潟市 S氏 2001.6.6 新潟県の新聞社、新潟日報社のSといいます。こちらに、新潟市に住むお年寄りから電話がありました。「アジア号に募金したいが、年寄りでファックスの使い方が分からない」とのことでした。その方の連絡先を送付しますので、対応をよろしくお願いします。また、同様のお問い合わせがあると思われますので、こちらにも、送金先を教えて下さい。お願いします。
■東京 H氏 2001.6.4 さて先日新聞記事にて拝見いたしました。「あじあ号」等、保存の件でありますが、私の祖父が戦前、何度も大陸を訪ね、上記、満鉄のスタンプ等、その当時のもの数多くあり、また、16mmフィルムも多数現存し、順次、VHSへと進めているところの者でありますが、祖父も勿論、「あじあ号」展望車に乗車したこともあり、この記事、大変感銘をうけているところでありますが、大変失礼乍ら、御組織のことがよくわかりませんので、大変恐れ入りますが、何か送っていただくなりしていただきご協力させていただきたく存じております。 ■松戸市 A氏 2001.6.7 さる6月3日(日)東京新聞27面「熱気球」欄において、中国遼寧省瀋陽市蘇家屯で保存されている旧満州のパシナ整備への基金呼びかけの記事を拝見しご連絡させて頂きました。 私、鉄道が趣味で、現在も残る蒸気機関車の撮影に幾度となく中国へ渡航しており、瀋陽の蒸気機関車陳列館へも数回足を運んでおります。上記記事でご紹介のあったパシナも当初は自力で動くなどある程度整備を受けていたものの、ここ数年は殆ど手を入れられた形跡がなく、荒廃する一方であり、なんとか打つ手はないものかと心を痛めていたところでした。今年の正月に同地を訪問した友人から「蘇家屯から市内の植物園に移転されるみたいだ」という保存に関わる動きを聞いたのですが、いすれにせよ、現在、製造よりかなりの時間が経過しているため、このままでは朽ちてゆくだけになってしまうことにもなりかねず、また今なら事業用に転用された客車(あじあ号の展望車「テンイ8」など)も現存しているのを確認しているものですから、車輌の整備と共にそれらを含めて一ヶ所に集めることができたら・・・・・・などと同好の仲間と話したことも一度や二度ではありません。 そんな折に貴会の活動を紹介する記事を拝見したものですから、その子細を伺えればと思っている次第です。 また、インターネット上の掲示板などに集う同好の士に対しても是非とも呼びかけたく思いますので、今般の新聞に掲載された内容のように、貴会の動きや基金について差し支えなければ私の方からご紹介させて頂きたく思いますが如可でしょうか? つきましては、 (1)「あじあ号基金」の詳細についての資料 (2)貴会「関西遼寧協会」についての内容紹介資料 (3)報道各社へ依頼された「あじあ号」基金についてのリリース文 等が貴会の方にありましたら、是非とも私宛にお送り頂けますと幸いです。また、それらの内容のインターネット掲示板等への転載許諾についてもご判断を頂けましたらと思います。 ■伊万里市 Y氏 2001.7.12 佐賀新聞を見て一筆書きます。 私の父(満鉄大連入社S.六年。終戦はハルピン鉄路局のシンサ統計課勤務)現在96才、今でも人生で一番誇りとするものは満鉄社員だったと云う人です。私はこの人を父とし、六月大連、チチハル、牡丹江、ハルピンと満鉄本社、鉄路局、大和ホテル等行って参りました。 又「満鉄会」主催の旅とあって、私、当然この話しを皆様方に話しをしました。が、詳しい事はまったくわかりません。振り込み先等、実は、この住所も図書館で調べました。両親も早速あの「アジア号」に基金をと云って居ります。 それで三ヶ月一回の「満鉄新聞」に基金の事を載せて下さい。 満鉄社員の方々は、まって居ります。お願いします。(連絡待ってます) ■宮崎県 I氏 2001.7.2 西日本新聞「超短波」で貴会のこと知りました。 豊中市に在住する姪に調べさせたところ「関西遼寧協会の目的」「関西遼寧」「あじあ号の歴史」のパンフレットを送ってくれましたので、よく判明しました。小生一九三五・三月満鉄大連鉄道教習所(一年)一九三六・三月〜蘇家屯駅配属(駅.電信、出札.手小荷係)内一九三九年兵役し病気、長期療養二回、延べ八ヶ月〜一九四五・二月二〇日転地療養のため帰国、其のまま敗戦。九年間蘇家屯駅在職。アジア(パシナ)が蘇家屯駅に展示されていることも存じておりました。中国旅行に行けずじまいでしたが旅行に行かれる人々に依頼して三回分のパシナ機関車写真も所持しておりますが一回毎に錆が激しくなり心配していた今日此の頃です。ついては入会手続をと思いますので書式送付手配下されば幸いです。 ■城陽市 S氏 2001.7.8 5日、京都新聞朝刊「この人」欄で菱田さんの努力にてあの満鉄の誇るパシナ(あじあ号)の再生の話が記載され涙と共に胸がせまりました。というのは、私は1927年大連生れの奉天育ちの純粋の満州っ子です。父は日露戦争の集結時期に率先して満州に渡り兄弟7人すべて満州っ子です。1993年、50年振りになつかしの大連の生家、奉天の家をみました。(今年の5月にまだ残っていました)小学校もありました。特に奉天の育才校(旧千代田校)は進学校として有名です。ここ10年毎年訪中し、それもすべて中国(旧満州)です。あじあ号は4回目です。今年の5月末に見た時は蘇家屯操車場のはずれにTF2525と中国の前進号と3台併せて雨ざらしになっており、あの巨体に手をあて思わず泣きました。運転台の破損がひどく、ブルーの車体もはげて、もう、これではスクラップかと嘆息をついたばかりでした。私は近畿満鉄会、京都満鉄会に入会していますが、この会で4月頃あじあの保存の事も一寸耳にしました。でも詳しい事を知っているものがなく、そのうち話題になると思っていました。 2、3年に訪中の時は博物館として他の車と共に(一番奥に)あったのですが、今年はその建物もなくなっていました。 今、何とか手をつけなければもうだめです。子供の時にあの流線形の独特の汽笛で連京線を走る特急あじあ号、あの後尾の展望台、関東軍の幹部と満鉄の役員位しか乗れなかったあじあ号、私も見るだけで本当になつかしい汽車でした。 竹島さんには数年前、あじあの図書を通じ文通した事があります。満州鉄道の図書等はすべてもっています。 あじあ号の再生を心から祈ります。そして博物館建築の暁には、又奉天にゆきます。先々月訪中した際のあじあ号の写真を入れておきます。悲惨な姿です。 この際、近畿満鉄会の皆さんにこの件を貴会からPRしてください。名簿を送りますから。皆さん満鉄で工員だった人ですからあじあ号を知らない人はいません。何か反応があると思います。 私も貧者の一灯として募金させて頂き、会員に入れて貰います。あじあ号よ永遠なれ、日本には戻れなくても中国にて友好のきずなとしてあの勇姿を保って下さい。 ■東京 K氏 2001.6.3 旧満鉄あじあ号保存博物館建設支援の記事(H.13.6.2 サンケイ新聞朝刊)を読ませていただき大いになつかしさを感じている私です。 それは私にとってなつかしさと云うよりも、ある一面ではそれを超えて私の少年時代を培ってくれた貴重な体験として、終生私の記憶から決して消すことの出来ない大切な出来事として今尚、鮮明に映し出すことの出来る事柄です。大連市に生れ(昭和8年)育ち、小学校入学(昭和15年)そして敗戦と云う時代を奉天市(現瀋陽市)で過した私にとって、両親の実家のあった大連で毎年の春休み、夏休みを過す為の往復にはほとんど“あじあ”号を利用していました。時たま大連・新京を午後一時に出る“はと”号と云う特急列車を利用した記憶もあります。列車の食堂車で食べたカレーライスやチキンライス、満鉄のマークの入ったお皿やスプーン、車窓から眺める見渡す限りの赤い穂をつけた“こうりゃん”畠、そしてクーリーハットをかぶりたった一人で傍らにロバを繋いて農作業をする農民、この農民は何処から来てどこへ帰るのだろう・・・・・・。子供ごころにいつもそう思いながら窓外の景色を見ていた思い出も、今ははるか50余年の昔のことなのかと思いを深めて居ります。 昭和21年暮に引揚の為初めて内地の土を踏んで以来、未だに一度も大連・瀋陽を訪ねていません。幾度か機会はありましたが、なかなかタイミングが合わず今日に至っております。何年か以前に戦後の中国でかつてのあじあ号の走っているテレビ番組の画面で見たことはありますが、もうとっくにスクラップとなってこの世に存在してはいないものと思っていましたので、記事を拝見しおどろくと同時に往時を偲んでおります。 当時は大連に行きたくなったり、おばあちゃんに逢いたくなった時は奉天駅周辺や連京線の線路脇へともだちを連れて通り過ぎる“あじあ号”を眺めに行き、あじあ号に乗ったことのないともだちに自慢気に話をしてうらやましがられたりしたことなど次々に走馬灯のように、頭の中を思い出が昨日のことのように駆ける巡ります。 幼きころに思いを馳せ、古き友達に逢える様な思いを込め、貴会の今回の計画が出来る限り早い時期に達成されます様心より念じております。 末筆ながら貴会の益々のご発展とご活躍をお祈り申し上げます。 (私は満鉄関係者の子弟ではありません。中国生れの三世です) ご意見、ご感想をお寄せください あじあ号の思い出、鉄道博物館への期待、あじあ号の見学記録、中国で知り得た機関車の情報などなど、何でも結構です。手紙、はがき、メールなどでお寄せください。この友の会ニュースなどを通して掲載させていただきます。 送り先 〒567-0012 茨木市東太田1-3-55 瀋陽鉄道博物館友の会 Email: ryonei@kita-osaka.co.jp |