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投稿 ねばり強い中国人 その2 ◎
8月初、会社閉鎖方針の説明 8月初めに、日本側オーナーとともに訪中。会社としての方針説明と従業員との意見交換を行った。 会社としての方針は、「仕事もどんどん減ってきて、赤字必至の状況で、社員の協力関係はないに等しい状態であり、さらに仕事の将来性も見えてこない。このような状況で、会社としては仕事を続けていくことができない。退職金の払える今の内に会社を整理しよう。」と提案した。 これに対して、2人の中国人スタッフは強烈に反対反駁した。 「今は儲かっている。儲かっているのになぜ閉めるのか。」→「試算表をよく見てください。そして昨年の試算表と比べてください。2002年度単期ではすでに赤字で、2001年度より大幅に赤字化しているでしょう。」 「しかし会社にはお金がある。お金があるのになぜ閉めるのか。」→「そのお金はお客さんから預かっている定期刊行物のための前受金で、利益ではない。前受金を差し引けば、退職金が出るかどうかわからない。」 「赤字になった原因は、先々代社長や先代社長、日本側オーナーがお金を持っていったからだ。それを取り返すのが先だ。」→「先々代社長の出した赤字分は、日本側オーナーが実際には穴を埋めた。先代社長の分はすでに日本で集金していつでも渡せる状態だ。日本側オーナーは身ゼニをはき出しているばかりで、持ち出した金など1円もない。」 「いまやっている仕事を自分たちにくれるのか。」→「お客さんの仕事が充分できる内容のものは中国人スタッフに引き継ぐ、そうでないものは日本人スタッフに引き継ぐ。(具体的な内容も提示。)」 「○○と××の仕事は全部ほしい。」→「その仕事をあなた方に引き継いでも、お客さんの側から断るだろう。そういう引き継ぎはできない。」 「それでは自分たちが路頭に迷うから、会社解散は受け入れられない。」→「会社は皆の終身雇用を契約したわけではない。会社の実情を考えて、協力してほしい。」 時には激高し、時にはなだめながら、平行線のまま2日間が過ぎた。こう言えばああ言う、ああ言えばこう言う、振り出しに戻っては繰り返し、論理的に破綻するともごもご言って話をそらし、また戻る。それでも、会社の実態は本人達が一番よく知っているので、「仕方がないか」という言葉も出てくる。 中国人董事(非常勤)を入れて正式な董事会を開き、会社精算方針を決議。中国人董事に2人の説得を頼み、9月中に退職金額の提示を行うことを知らせて帰国。 ◎9月初、退職金額の提示 中国の弁護士事務所等にあたって、こういうケースでの一般的な退職金を調査。弁護士によっては「6ヶ月〜10ヶ月超」という人もいれば、「ゼロでもいけますよ」という人もいる。日本側の関係者で対策会議を行い、各都市での一般的なレベル「4ヶ月くらい」の提示を決め、早いほうがいいだろうということで、9月初めに訪中。 前回とはうって変わって2人ともなごやかな雰囲気。 勤続年数により、短い人で2ヶ月分、長い人で4ヶ月を提示。 前回のような猛反発や激高は一度もなく、「会社にお金がないときには、残業代なしでずっと残業をしてきたし、給料の遅配にも我慢してきた。そういう点を配慮して上乗せしてほしい。」とか「不要になる備品類を安く譲ってほしい」、「再就職のために日本語教室の費用を出してほしい」、「数年前に会社で使っていた携帯電話は自分が買った物だからその分を払ってほしい」等々。 これらの要求をほとんど呑む形で最終案を提示。中国人スタッフでは4.5〜5.5ヶ月分くらいとなったが、お金で解決するならそれでいいではないかということで、「これが最終案、いいですか」と確認、彼らは「もう少し過去を評価してほしい」とは言うが、反対はなし。 この時も印章類の返還を求めたが、「先代社長の自分への侮辱を云々」とか「2万元紛失への処分が出ていない」とか関係のない話を持ち出してはのらりくらり。この件では怒鳴り合いになったが、「退職金をもらえば返す」という口約束に乗って、丸く収めようかということにしてしまった。 印章類を取り返すこと以外は、気持ちの悪いくらいうまくいったのだった。実はこれが彼らのワナだったのだが。 ◎9月末、閉鎖へ 10数年前から別の業種で合弁をしている会社が北京にあり、その董事長とは最初の頃は会社の経営方針を巡ってよくケンカをしたのだが、その後はまあまあのつきあいをしてきた人がいる。その董事長のところに彼ら2人が相談に行き、弁護士を紹介してくれと頼んだ、という情報が董事長本人からもたらされた。 何かを企んでいるとみて、こちらも中国人弁護士に依頼し、雇用契約解除関係の書類を準備した。協議書、協議不調の場合の会社都合への切り替え、労働人事管理局への提出書類、本人らの受領書等、どちら向きに話が進んでも対応できるように準備を整え、9月末に最終決着のために訪中。 <1日目> 弁護士の用意してくれた「協議書」を提示。内容は、弁護士の忠告に従い、9月初めの合意内容とは少し違う(項目分けが違う、金額はむしろ増えた)文面だった。 2人は、まずこれに文句をつけた。「前回の合意内容と違う」と。こちらは、前回の項目分けでは法的に問題が起きることもあるので、金額が減らないように作り直した、と返答。(彼らは、この部分が前回の話し合い通りに書かれていると予想していたようで、その法的不備を突く積もりだったようだ。しかしそうは書かれていないので、次の「アナ」探しの必要が出てきた。) 次に、「もう少し過去を評価してくれと言ったのに、増えていない。」と言い出す。さらにここでも若干の譲歩をして、一部金額を上積み、「これでいいか」と問うと、「弁護士に相談するから、明日の4時まで待ってくれ。」 「そんなに待てない。明日の午前中まで時間をあげるから、今からでも弁護士に相談して、どうするかを決めてほしい。」と通告。1日目の交渉を打ち切る。 晩にこちら側の弁護士と相談し、翌日の方針を決める。彼らの用意した矛先をかわしてしまったし、こちらの提示内容では彼らは法的には何もできないだろうという安心感があって、皆に自身があふれていた。 <2日目> こちら側の弁護士に同道してもらい、法的な説明をしてもらう。 2人は弁護士にくってかかり、「お前は日本人の味方か」と怒鳴り倒す。経験のある冷静な弁護士であるが、この言葉には頭にきたようだ。一通りの説明を終え、協議書へのサインを求めても、「絶対にサインしない」と言う。 これも折り込み済みなので、協議退職が無理ならば「会社都合退職」に切り替える旨を通告。これは「協議」ではないから、退職者のサインは不要。ただし支払った退職金の受領書にだけは、受領のサインをもらう。 彼らは引き延ばし戦術に出る。「4時にならないと弁護士と相談できないので、それまでは何もしない。」と言い張る。 仕方がないので、4時まで待つことにした。彼らは弁護士に相談に行くようでもないし、時々外に出ては、2人でひそひそと何かをしている。 4時前になって、支払うべき退職金を銀行から引き出すように日本人スタッフに指示。この時点でも中国人スタッフが印章を持っているから、彼らに小切手を切らせ、印章をつかせて、その小切手を日本人が銀行に持って行く。銀行は階下なのですぐ帰ってくると思っていたがなかなか帰って来ない。この時、彼ら2人は僕らと同じ部屋にいた。どんな気持ちだったのだろう。 日本人スタッフが青い顔であがってきて、「残高がなくて引き出せない。『今日の昼に、お宅の中国人の経理の人が来て××万元引き出して行きましたよ。』と銀行の人が言っていた。」残高は30万元くらいあったはずだ、しかし今は数万元の残高しかないという。さすがにこの時、2人の顔はこわばっていた。日本側オーナーが、「あんたたち何ということをするのよ。返しなさい。」と言って迫る。弁護士も「そんなことをしたら犯罪だ。すぐに返しなさい。」と迫る。 2人は、顔をこわばらせながらも、「自分たちの権利を守るためにやった。お金はここにはない。弁護士と相談する。」と開き直る。 前出の合弁会社の董事長に相談する。彼もびっくりして、電話で2人の説得にかかる。だいぶ長いこと話した後、「お金は明日朝必ず返すから、今日は帰らせてやってくれ。」ということで、2人に確認して帰らせた。 夜の反省会では、昨日の晩とはうってかわって、怒りと不安で一杯になる。日本側オーナーは、朝まで寝られなかったという。 <3日目> 実はこの日が、当初予定では私たちの帰国の日だった。初日の彼らの反応で、延長した方がいいだろうと決めて、2日ほど延長してあった。しかしこのことは彼らには知らせないようにしてきた。彼らは、私たちの帰国日も計算に入れて、時間切れ引き分けに持ち込もうという腹があったのかも知れない。 「お金は朝必ず返す」という約束は見事に破られ、逆に相手側の弁護士が来た。30代半ばの弁護士からぬ風情の人で、「銀行から会社のお金を引き出したのは、労働債権の留置のためである。これは労働者の権利である。」と言って、こちら側の弁護士と大口論になる。口論になると、口角泡をとばしてわめきちらし、人の言うことは一切聞かない。 「労働債権の留置のために会社の金を盗む」権利なんてあるはずがない。 ヤクザ的弁護士はわめくだけわめくと帰ってしまい、我々は2人の説得にかかる。この場でも、「前社長の仕打ちが許せない」とか「もっと条件を上げろ」とか言い続ける。私たちは「とにかく盗んだお金を返しなさい。お金を返さない限り話し合いには応じない。」として、昼までと期限を切った。昼までに返さない場合は、窃盗として公安に訴状を提出すると。 昼まで待っても返さない。取りに行く様子もない。 仕方がないので、昼から訴状を作成。「返す気はないのか」と最終確認をしたのが午後3時頃、「訴えるなら訴えたらいい」という言葉を聞いて、公安に向かう。 道が混んでいたことと公安局が移転していたこととで、公安に着いたのは5時近く、この間、合弁会社の董事長から次々に電話が入ってくる。「本人らも大変なことをしたと思い始めたようだ。返すと言い出している。」と。 公安局の門前で会社に電話して、2人に最終確認を行う。「今から公安に入るところである。自分たちが帰るまでにお金を用意して返すならば、公安に行かずに帰る。」と。 2人の返事は、「必ず返すから、公安に行かないでほしい。」ということだった。 帰り道、ポケットに入るテープレコーダを購入して、1時間ほどで会社に戻る。 しかし、お金は戻っていなかった。曰く「銀行が閉まっていて出せなかった。」 合弁会社の董事長もとんで来て、再び説得にかかる。 結局ここでも事実に折れて、「明日の朝9時には、取ったお金は全額返すこと。」を約束した。合弁会社の董事長も9時に来て立ち会うことを約束した。 この日の反省会は、「怒り心頭に発する」感じで、食欲も進まなかった。 <4日目> 予想通り、朝9時にはお金はなかった。2人は下の銀行に行って、会社の口座から自分の口座に移したお金を引き出して、10時近くに事務所に上がってきた。しかも、取ったお金の全額ではなく、自分たちが受け取るべき「退職慰労金」を差し引いた額を、である。 日本人スタッフが「公安に行こう」というのを引き留めて、「結果は一緒なんだから、片づけてしまおう。」と言って、彼らの受取サインをもらう。これで全員の退職手続きは全部終了した。 あとは、淡々と事務所の片付けに入る。事務所の明け渡しを2日後に控えて、合弁会社の董事長やスタッフにも手伝ってもらい、黙々と片づけ作業。 この日は、こちら側の弁護士も招待して慰労会を行う。この3日間ずっと付きっきりで交渉やアドバイスをしてくれ、この人なしには解決は難しかったのではないかと思う。日本で10年近く学んだ方で、日本人の価値観や考え方をよく理解している人だった。 ◎全てが終わって 全部が終わったあと、いろいろな意見を聞いた。「君らはお人好しの馬鹿だ。」とか「中国人にはもっと厳しくしなければ、いくらでも足元を見られる。」とか「本当にご苦労さん」とか。 自分自身で考えてみて、 1)印章類や小切手の管理は、絶対に信用できる人間以外に預けてはいけない。 2)中国の事情(裏の世界も含めて)をよく知っている中国人と日頃から仲良くし、困った時に助けてもらえる関係を作っておくこと。 3)言った言わないというケンカほどつまらないものはない。紙で合意書を作るのが最良だが、どうしても作れない状況では、テープレコーダ等で証拠を残す必要がある。 4)日本の法律の常識は捨てる。法的に足元をすくわれないために、事前に信頼できる中国の弁護士に相談し、よく準備をする。 5)交渉ごとの最中には、基本的な線の妥協はしない、本筋にかかわらない部分では事情を勘案して妥協のできる余地を残してから交渉に臨む。 今回のことで言えば、彼らがおかしな弁護士に相談した結果、会社のお金を盗むということをしてしまった。このことは、我々にとって決定的にプラスの要因となった。もしお金を盗まずに、ねちこちと交渉を引き延ばされていたら、いつになれば北京から帰れたかと冷や汗が出る。彼らの決定的なミスのために、後の仕事の引き継ぎ等も彼らは口に出せなくなり、あとくされもなくなった。本当にお金を取ってくれてありがとう、と言いたい。 (終) |