悠久の中国黄土高原〜しかしじわりと変化が〜

                                有限会社オフィス・エー 代表 中田勝美

 「暑い、暑い」という言葉が止どめようと思っても出てくる。黄土高原の大地では日差しは強烈だが、日陰に入ると意外に涼しく、いつもはそれでひと心地つく。

 しかし今年、2002年の夏はなぜか暑い。ヤオトンの中に入ってもじんわりと暑く、なかなか体の中から熱気が逃げていかない。自分の体が衰えているかなあとやや心配になったが、今年はやはり気象が変だとのこと。

 中国陝西省米脂県楊家溝。8月、黄土高原の村はいつものようにわれわれを迎えてくれた。ただし村はじわりじわりと変わっている。初めて村を訪れたメンバーは「黄土高原ってもっと砂だらけと思っていた」とちょっと意外な感想を述べる。確かに遠くから見ても緑がかっているといってもいい風景にもなっていたが、今年は雨量が多かったとのこと。草が多く出ていたことが原因だろう。

 「黄色い大地」。誰もが持つ黄土高原の印象がこれである。不毛の地、砂塵が渦巻く地、というのであるが、実際は緑の大地に戻そうという壮大な計画も始まっている。植林の事業は各国の協力も得ている。しかしやはり自然の力は強い。雨という自然の恵みがやはり大きな位置を占めるのはやむをえない。

 しかし社会生活上の変化は村の一部で始まっている。村を訪れた人が最初に見学に行く毛沢東記念館。1930年代後半、国民党と戦いを続けていた中国共産党が延安から北東へ転進するときに、4ヶ月ほど楊家溝に党中央部を置いていた。毛沢東や周恩来が居住したヤオトンが記念館として残っているのである。

 以前は隣に住むおじさんが管理人を兼ねていて、見学者が来ると(といってもめったに来ないので)のんびりとカギを開けてくれた。それが「陝西省米脂県徳育基地」「愛国主義教育基地・中共陝西省委員会」「九四一四八部隊思想政治教育基地」のプレートが表に張り出され、制服を着た専属の説明員がおもむろに案内してくれる。中国が新たに取り組んでいる西部地区開発にともなって、経済開発に政治教育を付随させるというこれまでのやり方がここでも現れたというべきか。

 むろん村人にとってはそんな政治教育基地はあまり関係ない。暑い夏の昼間、子供たちはそれでも元気に遊びまわり、年寄りは日陰で四方山話に花を咲かす。若い女性はわずかに流れる小川で洗濯に夢中だ。“また日本人が来てるな”と一見無関心を装うが、「ニーハオ」と挨拶すると、にこっと笑ってニーハオと挨拶を返してくれる。

 民宿したお宅は馬輪さんの家。同じ敷地内に2家族住んでいる。馬輪さんちの2人の男の子は米脂の高校に通っており、夏休みで帰郷中。食事を運ぶのは彼らの役目で、水運びや畑の世話などとにかくよく働く。しかし学校を卒業したあとは街で働きたいと言う。これもやむをえない変化だ。

 庭に座ってボーッとする。誰かに呼びかける声や動物の鳴き声など、村のさまざまな音や声が遠く近くやんわりと聞こえてくる。さあ夜はみんなで餃子を作ってパーティだ。そんなこんなで村の一日が終わる。

 しかし残念なことがひとつ。夜、圧倒的な迫力で星空が眺められるのに、今回はちょうど満月。あまりの明るさに期待した銀河は見られずじまいだった。


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