遼 寧 大 学 の 紹 介
@遼寧大学の歴史 遼寧大学は1958年に創立されました。もともと、ロシア語専門学校、東北財経学院、瀋陽師範学院の三つの学校が合併した総合大学です。その後、国際経済学院、経済管理学院、工商管理学院など十三の学部によって構成された総合大学となり、遼寧大学はますます発展しています。 教職員と学生を合わせると約一万人強です。省内外でも有名な大学となっています。全国の100大学に加わったことからもおわかりになると思います。遼寧省及び各市の幹部は、遼寧大学を卒業した人たちが大勢います。現在の社会現代化の建設に多大な貢献をしています。 A 日本語科の教師と学生 学生数 一年生:20人、二年生:21人、三年生:21人、四年生:20人 合 計:82人 研修生:約10人(聴講生) 教師数 中国人教師 8人 (男性2人 女性6人) 日本人教師 3人 (男性3人) B 遼寧大学の特色 遼寧大学は、40年強の長い歴史を持ち、二十一世紀の中国重点百大学の一つに選ばれています。大学は、三つの学院と十三の学部があり、学生数は一万人を超えており、省内の総合大学として有名な大学です。 校内には整備された庭園があり、九階建ての教室楼があり、広大な面積を持つグランドや体育館、コートがあり、施設が整っています。特に新築された図書館は、 東北三省の中では蔵書が最も多く、千人も収容できる閲覧室があり、博物館も併設されています。 現在、建築中の学生寮は、十七階建てであり、エレベータ―等の最新の設備が計画されているという噂(?)です。留学生寮もこの中に入るそうです。 遼寧大学は、中央政府のリーダーたちから重視されていて、門札や恵星楼などの書は、前副総理の李鵬氏や朱徳氏の手によるものです。遼寧大学は数多くの優秀な人材を輩出し、省内の重要ポストに就いている先輩が多くいます。今後も更にすばらしい人材を育成していくことであろうと確信をしています。 日本語科の特色の一つに、日本語の実習があります。3年生の時に日本企業へ派遣されて、通訳の実習をします。長い時は3か月間も実習を続けます。瀋陽の企業だけでなく、上海の工場へも行きました。NEC・旭ガラス・三洋空調などです。 この実習で日本語のレベルと日本人の習慣や考え方・行動・文化などが学習できて生きた学習になります。最初は、とても辛くて嫌だと思うのですが、最後には全員が別れ惜しんで泣いてしまうのです。 ここで知り合った日本人と現在も交流を続けている学生が多くいます。 C 学生生活の紹介 日本語科の学生たちは、学習面では自由でのびのびとしています。教科書の学習の他にビデオの授業や文化・経済・語彙・概況などを日本人教師から学習しています。また、留学生とお互い勉強をしたり、交流をして言葉の学習だけでなく、日本の習慣や伝統文化なども学習しています。一緒にビデオを見て色々と解説をしてもらったりもします。とても楽しくて役に立つものです。 「日本語科のゆうべ」の中で、芝居や日本の歌や漫才などもやって語学能力の向上に役にたちました。 「瀋陽日本語弁論大会」では、毎回、優勝と入賞者を出しています。中日交流友好作文コンクールでも、全国第3位を獲得しています。 さらに学習を促進する為に、日本人教師と日常的に交流をしています。将来の職業や留学の相談などもしています。 また、通訳や家庭教師や日本語学校の講師、ガイドなどいろいろなアルバイトをしています。こうした実践の中から学ぶことが多くあります。 寮での生活は多彩です。特に女子寮では楽しい雰囲気が溢れています。十人同室ですから、いつも賑やかです。そして4年生の女子寮の部屋はとても豊かです、なぜならば、ラジカセとテレビが有るからです。そして時々先生のところからVCDを借りてきて見ることが出来るからです。外国語を学習する学生にとって、日常的に日本語と接触できる環境があることは嬉しい事です。だから、音楽に合わせて歌ったり、ダンスやエアロビクスをしたりしています。 もう一つ、私たちの女子寮ではペットを飼っています。とても肥っていて可愛いねずみです。姿を現すと「キャー」とかいいながら歓迎をしています。名前を付けようかと思いましたが、顔の区別が出来ないのでまだ付けていません。寝ている時鼻をかじられないように気をつけています。 日本語科は、女子が多いので日本の歌手や俳優についてはとても人気が有り、例えば木村拓哉とか江口洋介など、いつも話題になっています。 学生生活を通じて、中日交流が深まり発展することを願っています。 D日本語科のゆうべ 1995年度から始まった「日本語科のゆうべ」は、学習をした日本語能力を最大限に発揮して披露し、自信とさらに向上する機会を得ることを目的として行われています。おもしろい番組を作るために、何回も何回も練習をします。同時に日本の文化や伝統や習慣が理解できます。和服を着たときの印象は忘れる事が出来ません。先生方も熱心に指導をしてくれます。特に日本人の先生は、練習をする時つきっきりで指導してくださり、情熱と誠実さを示してくれました。終了したとき、自信と感謝で一杯になりました。日本総領事を始めとして企業の方々の支援と協力をいただき、学生は心から感謝をしています。皆さんのご好意を無駄にしないようにこれからも頑張る決意です。 E日本語科の中国人教師の紹介(ユニークな先生) 張涛先生は1988年に遼寧大学を卒業されました。その後、中医学院で五年ぐらい日本語を教えました。1995年母校の遼寧大学へもどって現在は日本科で日本語を教えています。1998年度までは日本科で唯一人の男性の中国人教師でした。とても優しくてまじめな先生です。わたしたちが分からないことを聞くとまじめに教えてくれます。先生の日本語文法はとても優秀で日本からいらしゃった先生からも日本人より能力が高いと言われています。課外時間には、わたしたちと冗談もいいあうし、ビデオも見せてくれていろいろな面で勉強になりました。だからわたしたちは張先生の授業が大好きです。 F授業紹介 ユニークな授業紹介 大学入学当初のことである。南開大学を卒業したばかりの芦 英順先生が会話の授業を担当してくださいました。 「会話」と言えば、日本人のように自然に話が出来たり、振る舞いが出来るように真似をすることである。一年生だから最初は、「こんにちは」・「はじめまして」などから学習を開始した。最初はアクセントも簡単だから難しくなかった。しかし、日本人のお辞儀はとても難しかった。先生の真似をするのだがなかなか出来ない。しばらくすると腰がいたくてたまらない。でも先生は、二人ずつを指名して教室の前でやらせた。ちゃんとしないと皆に笑われるから、一生懸命に熱心にやった。 このことで日本人の礼儀正しさを学び、本当に感心をし、ちょっとした礼儀や振る舞いでも注意をするべきだと言う事を教えてくださった。いつも先生は模範を示して下さって、いろいろな間違いやおかしな振る舞いを示してくれたので、いつも笑いが絶えなかった。 「会話」の時間は、主にアクセントと日本人の礼儀作法や中国人との違いを教えてくださって、楽しい中にも役に立つ学習が多くあり、とても楽しい授業であったことを今も思い出しています。芦先生との出会いによって、それ以後、ますます日本語を学習する事が楽しくなって、レベルが向上したことを感謝しています。 G日本人教師の紹介 月野 政文先生 月野先生は、とても優しくて親切な先生です。先生は、日本の文化は勿論のこと、中国の文化についてもよく知っています。わたしたちが知らない事もよく知っておられ、敬服せずにはいられません。 月野先生が一番好きなものは、ビールとタバコです。毎日、必ずビールを一本は飲みます。 先生は、いつも緊張をしています。初めて私たちの授業をした時、緊張で汗が滝のように流れ出しました。そして手もどこに置いたら良いのか分からないようでした。この様子を見て、私たちは思わず笑いました。先生はとても恥かしがりや屋なのです。現在は、だんだんと緊張をしないようになり、最近では友達のようになり、一緒に遊んだり、お酒を飲みに行ったりしています。 大内 誠喜寿先生 大内先生と初めて会ったときは、堅苦しいイメージでしたが、だんだんと時間がたつにつれて、それは非常に真面目な性格であることからの印象であることが分かりました。授業の前にはよく準備をしています。「日本語精読」「日本の経済」の授業は、おもしろい話ではないが、内容がとても充実しています。 石井 康男先生 石井先生は、私たちのユーモアのある先生と言う事だけでなく、友達でもあります。 週末になると、先生はいつも私たちを呼んでくれて、日本の美味しいものを作ってくれます。特にカレーは、本当に美味しいので、先生の事を「おいしい先生」と呼んでいます。 先生の趣味は、機械を触る事です。撮影機器とかカメラとか、その性能や使い方などを詳しく教えてくれます。さらにギターも出来ます。時々ギターを弾きながら歌をうたってくれます。 また、先生は顔が広い<面積ではない>からとても忙しいのです。私たちのために日本から沢山の本やビデオテープを持って来ています。ビデオの授業をするためにテレビや教室のカーテンを買って寄付してくれました。このようなことは数えきれないほどあります。 私たちは、石井先生を教師としても友達としても尊敬しています。 H私たちの将来・夢・希望 「来年のことを言うと鬼が笑う」と言う諺がありますが、21世紀に生きる若者として、来年どころか十年先の夢まで持っています。もし夢も希望も理想も無い若者であったなら、それは自分の使命を無視する人に相違無いと思います。 だから私たちは将来のこと、夢や希望を持っていなくてはならない。出来れば生涯計画を持つべきだと思っています。間もなく大学を卒業する私たちにとって、当面は就職の問題です。自分に合った職業で一生懸命に働き、一定の地位を獲得することです。社会は甘くは無いから、簡単には実現出来そうにないが、「石の上にも三年」という諺を信じて努力をするつもりです。大学で学んだ知識と努力で頑張ったらきっと道は開けると信じています。 「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」の精神で、みんな一緒に自分の将来の為に頑張りましょう。 (原稿は、4年生18人が分担して書きました。) |