ヌルハチの遺体は、城内北西の梓宮に2年半安置されていましたが、その陵墓は、瀋陽東北の郊外に、平野の中に珍しく丘陵があり、その南面に渾河が流れて中国の風水にぴったりの場所に決められ、丘の上に埋葬されたのであります。墳墓へは、前正門を入ると石獣群があり、松林の中の長い急な石段をのぼったところにあります。周辺の建物や、正門に園東西にある一対の石造の牌楼などは、清朝の統治が拡大安定するに従って、皇帝の東巡も重なり、そのたびに重修され中国風に整備されたのであります。現在は、正門の手前には大きな駐車場になっていますがこの南に下馬碑が建てられていたのであります。
ヌルハチの命により殉死したアルバフジンは、ともに葬儀はされましたが合葬されず、この陵には、二代目皇帝ホンタイジの生母孝慈皇后が東京(遼陽の東)近くの陵墓から遷され合葬されています。
司馬遼太郎「坂の上の雲(7)」(文春文庫)160p
(1905年3月)十日朝、毛家屯北方の高地に進出した第六師団の前衛部隊の士卒が頂上にかけのぼったとき、声を失うほどの光景をみた。
眼下に奉天城がみえた。
城外北東に清朝の太祖を葬る東陵の松林があり、さらに城外北方には太宗をまつる北陵の松林が一望の黄土のなかに濃い群青を盛り上げたようにして蟠っている。いかにも直隷平野といわれるにふさわしい美しい風景であったが、しかしながら、この大地の主人である清国人にとって迷惑至極なことに、かれらに何の縁もない二つの異民族が、この風景を舞台に死闘をくりかえしていることであった。
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現在は、桃仙空港から高速道路に入ったところで瀋陽市内が一望できますが、高層ビルが林立しているためとても一番近い故宮すら見えません。
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