特急<あじあ>の牽引機「パシナ」発見と復元のドラマ
“幻の巨人”はこうして甦った

                  竹島 紀元((株)鉄道ジャーナル社社長)


その3 望郷の鉄輪

 1985年(昭60)4月27日、九州の博多港から白い麗姿の一隻の豪華客船が中国の大連へと向けて旅立った。かつて日本から中国東北部へのメインルートであった「大連航路」の快適な船旅を偲ばせるこの「コーラル・プリンセス号」の船室やデッキには、戦後40年ぶりに訪れる青春の地に思いを馳せる大勢の年老いた男女の姿が見られた。

 前年の秋にパシナ(SL751)に生命が甦ってから、本格的に修繕・整備したうえ、旧満鉄出身者を乗せた特別列車をかつて特急<あじあ>の花道であった大連−瀋陽間を走らせ、その車内で旧満州在住者と中国鉄道労働者が心から語り合おう――という壮大な構想が日中鉄道交流協会と中国国鉄の間で進められ、暮れには早くも具体化した。

 主役となるSL751号機はさっそく長春(新京)の機関車工場に運ばれ、ボイラーはじめ各部の部品の取替えや強化など、本線を高速で走るための大がかりな若返り工事が開始された。

 「パシナ号
 中国東北の度」が日中鉄道交流協会と中国鉄路対外服務公司の共催で1985年のゴールデンウィークに実施されることが決まり、大々的に新聞で報道されると大きな反響をよび、全国から参加希望者が殺到した。ほとんどが旧満鉄社員とその家族、旧満州在住者で、80歳を越えるお年寄りも含まれていた。

 夢に見つづけた青春の故郷と、そのシンボルであった特急<あじあ>への熱い思いを胸に、望郷旅行の一行二百余人は往年の大連航路の船旅を懐かしみつつ一路、大連へと向かったのであった。

 だが実は旅立ちを目前に、思わぬ重大な問題が発生していた。出発の一週間前になって中国から、全力をあげて徹底的に修繕したが、SL751号機は性能・安全の面で最終的に本線走行が不可能になった、という緊急連絡が入ったのである。苦悩に満ちて私は船上の説明会でこのアクシデントを参加者に報告し、心から了承を請うた。沈痛な空気が船内をつつんだが、とにかく動く姿を見られればそれでいい――と全員が納得してくれた。

 メーデーに沸きたつ5月1日、二百余人のツアー参加者の宿願だった生きたパシナとの対面が、ついに実現した。

 本線を疾駆する夢は実らなかったが、パシナは往時のライトブルーに装いを改めた流線形の堂々たる麗姿に生命を漲らせ、周囲の動けない古びたSL群を睥睨しつつ煙を吐き、白い蒸気を勢いよく噴射していた。それはまさしく、冷房完備の快適な近代客車の先頭に立って大平原を時速120kmで驀進した、栄光のパシナの姿であった。

 瀋陽鉄路蒸気機関車陳列館の構内は歓声と興奮で沸き返っていた。

 めぐり会ったわが子を慈しむかのようにパシナの鋼鉄の肌を撫でまわす人、下から支えられて高いステップをよじ登り運転席でポーズをとる老いた元機関士、背より高い動輪の前で記念写真を撮り合う老夫婦…。ひととおりの披露を終えたパシナは、後ろに従えた一両の古い旧満鉄客車に感傷旅行の人々を乗せて走った。構内を300mほど往復する“小さな旅”だったが、幻の超特急<あじあ>の面影を偲びつつ、鉄道交流を通して日中両国の人々が永遠の友情を誓い合った、それは大いなる旅路であった。


 生み育ててくれた人々の愛情あふれる視線に見守られた晴れ姿を最後に、「パシナ」SL751号機はふたたび深い眠りについた。大修繕したにもかかわらず、スクラップ寸前から再起した古いボイラーは水漏れがひどく、新製して載せ替えないかぎり現役復帰はむずかしいという。

 いま、「パシナ」SL751号機は瀋陽鉄路蒸気機機関車陳列館の一角に、ブルーの流線形の車体を土ぼこりでうっすらと白くして静かに横たわっている。生命の絶えたその巨体に、東北の大平原を駆けた青春の日の栄光を秘めて…。

 その再帰を夢みたわたしたちにとって、パシナはやはり“幻”のSLであった。

(終わり)